タイムトラベル「昔の沖縄」★新・世界紀行inagara

Minanohikoです。

今年のゴールデンウィークが終わりました。

どこにも行っていないので、余計にさみしいです。

今回のイナガラは沖縄です。

ここ数年、沖縄は観光ブームです。インバウンドも多いです。

沖縄は今年のゴールデンウィークでも人気スポットだったようですね。


GW旅行トレンド2018、海外旅行の人気トップは台湾、国内は「城ブーム」も ―日本旅行業協会


(引用元:トラベルボイス  https://www.travelvoice.jp 

ボクも仕事の都合で那覇市に2年ほど暮らしていましたので、沖縄にはたいへん思い入れがあります。

なので、今後もときどき沖縄について書くこともあるはずです。

実は沖縄は暑いことは暑いですが、真夏の東京・大阪など都市部の酷暑に比べたら、断然過ごし易いところです。

台風というリスクもありますが、隠れた「避暑地」でもあるわけです。個人的にはおススメの転勤先です。


※那覇市内の波の上ビーチ

「歴史に対する律儀さ」沖縄の独自性

さて、タイトルにもあるように「タイムトラベル」をするわけですが、その前に沖縄の「歴史」について少し触れます。

琉球王朝沖縄戦基地問題に関してはちょっとムズカシイ問題なのでひとまずヨコに置いておきましょう。

ガッコーで習った漠然とした前提の上で、沖縄で感じたことがあります。

それは先祖というものを強く意識した世界観に暮らしているということです。

ただ、それが沖縄の独自性というわけではありません。

独自性は律儀さだと感じます。何に対する律儀さかといえば、「歴史」に対する「律儀さ」です。

ここでいう歴史とはいわゆる客観的な記録としての歴史ではなく、「連綿と続く個人の体験の鎖・螺旋」=「モノガタリの遺伝」です。


※首里城から眺めた那覇市内

 

沖縄の肥沃さ

那覇市内を歩けば、「石敢當」を随所で見かけます。

やはり沖縄勤務時代のこと。新入社員たちが職場の整理整頓をしていると、「石敢當」を象ったペン立てを捨てるべきかどうか話し合いが始まりました。

ペン立ては壊れていましたが、皆、捨てるにしてもどのように捨てたら良いのか悩んでいました。

それはあくまで石敢當の形をした「ペン立て」なのですが、捨てるとバチが当たるかもしれない、というのです。

結局、ナイチャーのボクがゴミ箱に入れるというかたちで解決しました。自分から申し出ました。

いうまでもなく、こういうモノガタリの遺伝は、だれにでも、どこにでもあります。

子どもなら、毎日そういう世界で暮らしているでしょう。

ただ、グローバル化且つ情報化された社会では、それらは目立たなくなる傾向にあります。

今ではお盆やお正月、お祭りであるとか、あるいは乳歯が抜けたとか、特別な日になんとか再確認されます。

沖縄が未熟だとか先進的ではないという意味ではありません。

是非は別として、沖縄ではモノガタリの遺伝は色濃くのこっています。

その濃度ゆえに、個人の体験の連鎖が、海と土と風に複雑に糾われています。

グローバル化も情報化も、その影響は他の地方と変わりません。

沖縄の個性は「モノガタリの遺伝」そのものではなく、その「濃度」です。

当然そこにある21世紀という現代に「濃厚な」モノガタリの遺伝が加わるので、味付けとしては少し偏りがあるかも知れません。

でもそこがボク個人としては面白くて、どこか懐かさを感じます。沖縄の豊かさだといえます。

豊かさの試算の仕方はさまざまでしょう。

ある時代が、また別のある時代よりも豊かだったのか、貧しかったのか、それは学者さんにお任せするとして、

沖縄では、過去は堆積物ではなく、並行した存在として現代と重なり合っています。

着ている衣服や、築かれる建物のようすが変わっても、浜辺に押し寄せる波は時代を超えているように感じました。


※沖縄本島至近のナガンヌ島

 

ボクらはそれを何度も聴いたはずなのに、何度も聴き逃してきた

沖縄の本部半島で浜辺を散歩をした時分、美しい水平線を眺めていて、萬年中二病疾患のボクの妄想心象に、ひとつの情景が浮かびました。


何百年も前、かつてこの浜辺で、恋慕を波に託した乙女があったかも知れない。

木製のジーファーで纏められた艶のある黒髪。うなじの後れ毛がふわふわと風にそよいでいる。

想いを宿した波と風は世界中の海を旅して、たった今、この浜辺に帰ってきたのだ。

いや、打ち寄せる波の全ては、かつては誰かの渇仰だったのかも知れない。

素懐は幾重にも重なり潮騒となり、たれかの耳に届いて復号される。

ボクらはそれを何度も聴いたはずなのに、何度も聴き逃してきた。


この果てしないメッセージの往来こそ「連綿と続く個人の体験の鎖・螺旋」だと思い至りました。

静かな衝撃でした。ただの妄想のはずなのですが、それ以来ボクはこの妄想を拠りどころに、沖縄をより深く愛するようになりました。

この視点から沖縄戦を考えると、あの日も美しい波は寄せていたことが、とてつもなく悲痛なコントラストとして胸に迫ります。


※南城市にて。かつて、この沖から米軍がやってきました。

 

名も無き人々の面影を携えて

長くなってしまいました。

タイムスリップする準備はできましたか?

正しいとか間違っているという知識ではなくて、ボクのように沖縄の事情をちょっとだけ思い浮かべた上で、是非ご覧になっていただきたい映像を紹介します。



(引用元:BLACKIE THE PHOTOGRAPHER by wbmstudioarts  https://www.youtube.com/channel/UCBfcQiWwKI-khzTBYzw-UxA 

こちらは1950年代前半の沖縄本島北部の様子を撮影した貴重なフィルムです。同チャンネルには他にもたくさんの沖縄の昔の映像があります。

沖縄をリピートする人も、まだこれから、という人も、是非一度ご覧になってみてください。

フィルムに映る名も無き人々が残した面影を心に携えながら当地を街歩きするのも風趣です。

やがてボクらも歴史に埋没する名も無き人々になります。潮騒になります。

街の喧騒も、路地の人々の往来も雑踏も、波のようなものです。

そうやって「連綿と続く個人の体験の鎖・螺旋」=「モノガタリの遺伝」の一部として小さく死んでいき、小さく生まれていくのです。

想像してみると、それはけっして不幸なことではない気がします。

みなさんはどう思われますか?


※那覇市美栄橋駅付近

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