天竺は印度ではなかった★インド人の物語・第2回

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ミナノヒコ
ナマスカール。
ミナノヒコ
ナマスカール。
ミナノヒコ
キャー アープネパーリーハェーン?
ミナノヒコ
ジーナヒーン マェーン ジャナパーニー フーン。
アーブ バールティエ ハェー?
ナギ
所長どうしたんですか???
フーンとかハェーとか?新しいプレイですか?
ミナノヒコ
ああ、これね。
ヒンディー語の勉強してたんだよ。
ナギ
ヒンディー語?
ミナノヒコ
うん。インドという国で話されている言葉なんだ。

インドすなわちバーラト

今日のイナガラはインド。インドの言語です。

さて、インドの憲法は世界でイチバン長大な憲法だとされています。22編395条に加え、12の別表、110条の修正条項があります。
意外にも英語で綴られたものが原本で、117,369文字に及ぶそうです。弁護士や裁判官を目指す人は大変ですね。
>>コチラから原本が閲覧できます。

その憲法で「インドすなわちバーラト」とう表現があります。

あまり知られていませんが、インドの正式な名称はヒンディー語で「バーラト」です。インディアは英語名。
バーラトと聴いて、「バラト族」や「マハーバーラタ」を連想した方は勘の良い方ですね。サンスクリット語が由来です。

もちろんインドには「インド語」なる単一の言語は存在しません。憲法で認定された言語がヒンディー語を含めて23あります。
中でもヒンディー語はそのなかで優先する形ではありますが、名実ともに国家的共通語になるのは前途多難です。皮肉という言い方が適切かは判りませんが、植民地時代の遺産である英語が準公用語化していて、重要な意思疎通の手段となっています。

ある統計では、インドでは母語として日常に用いられる言語は850種あるとされます。方言や稀少言語を含めると1,000種を遥かに凌ぐとも言われています。さらに、インドで「方言」というと、地域間の相違だけでなく、階層間、カースト間の相違も含まれます。まさに言葉ひとつ取り上げても大千三千世界の様相を呈しています。

インドの諸言語は3つのグループに大別される

北部に広範な話者を有する近代インド・アーリア諸語、南部五州を中心としたドラヴィダ語族、北東の山岳地帯に分布するシナ・チベット語族です。

日本では南部ドラヴィダ語族に含まれるタミルナドゥ州の「タミル語」が有名ですね。タミル語の文字は丸みを帯びていて、バネの落書きのような形状が特徴です。

ヒンディー語を中心にしたインド・アーリア諸語が語彙の面でもインドのほとんどの言語に大きな影響をとどめていますが、とくにタミルナドゥ州はヒンディー語に対する反感が強いと言われます。英語があるじゃないか、ということです。

実際、インド全体での英語の普及率は高く、都市部のインテリ層では英語が日常語になっていることが多いのだそうです。それでも人口の10%程度に留まるのですが。

不思議なことに、衛星放送やケーブルTVの普及でヒンディー語の浸透が予想されましたが、実際は言語別のチャンネルが多元的に存在して、より多極化が進んだそうです。

ここに、インドの「らしさ」があるのかも知れません。

日本人にとってのインド

では、日本人のインド観はどのように変遷してきたのでしょうか?

そもそも中世日本人の世界認識は「三国世界」だったとされます。「三国」とは本朝(日本)・震旦(中国)・天竺であり、世界がこれら三国から構成されていると認識していたのです。

その後近世以降、ポルトガルなどヨーロッパから地理学的情報を吸収し、「五大州」を認識するようになっていきます。

注意しなければならないのは、ここでいう「天竺」はけっして現代のボクらが想い描く「インド」そのものではない、ということです。

わかりやすく言えば、「天竺」=「インド」は結果論であり、その地理的理解は紆余曲折を経ながら徐々に現在のかたちに同定されていったのが現状です。

中世の日本人にとって、本朝でも中国でもない世界が天竺であり、あくまで「仏教とお釈迦様の祖国」であったのです。

ヨーロッパ人が作った地図をはじめて日本人がみたとき、「天竺」を見つけられなかったでしょう。
そこにはインド亜大陸はしっかりと描かれていましたが、INDOSTAN、INDIAE、DELLIという地名は日本人にとっては全く未知だったのですから。

最初期に日本人が作成した世界図(南蛮屏風世界図、南蛮系世界図など)では、インドシナ半島・現在のタイ付近にあたるところに「てんぢく」という名称が与えられ、肝心のインド亜大陸には「なんばん」と書かれていたり。タイはSIAM・SIAN(シャム・サイアム)とも呼ばれており「仏教国」というニュアンスで天竺と同一視されていたのですね。

その後、日本人はインド亜大陸に「いんぢあ」や「へんから」(ベンガル)という地名を見出しますが、それが天竺(印度)と同義であることは理解していませんでした。

天竺という世界観は揺らぎながら徐々にインドに同定されていったのです。単純に「インドのことを昔は天竺と呼んでいた」わけではないのですね。

そう考えると、遥か昔にインドを旅した「玄奘」や密教を輸入した「空海」は、宇宙人と会った人、エイリアンの言葉を知る人、くらいの衝撃的な存在だったのかも知れません。

堅苦しくなったのでインドの動画を紹介


この記事のキャッチアップ画像はphoto credit: amira_a Nikon, Canon or Sony? via photopin (license)よりお借りしています。

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